科学リテラシーの向上について (1)大学初期教育に対して感じる違和感

 「科学リテラシー」という言葉を大学教員が意識するようになったきっかけは、恐らくあの
OECDレポートでしょう。その悪夢のような内容は先端科学研究に携わっていた我々研究者を
震撼させるに十分でした。あれから10年あまりが経過し、いよいよその悪夢が恐ろしい現実と
なって目の前に突き付けられてきた、という印象が最近強くなってきました。

 先月、光・電子材料化学という、これも私オリジナルの講義をやっていた時のこと、フォト
レジストの話をしていて、たまたま基板の硬さの問題にちょっと触れたので、「モース硬度」
を例として解説しようとしました。ところが、学生達には話が全く通じません。それもそのは
ずで、教室内の全員が「モース硬度」というものについて、小学校、中学校、高校を通して、
誰からも、一度たりとも聞かされなかった、というのです。

 この講義の対象は2年生ですので、学生達は物理実験で「ヤング率の測定」を行い、レポート
も書いていました。ヤング率測定の実験をしてレポートを書いたのであれば、当然、材料物性
についてはざっと調べたはずですし、それ以前に、硬さ、強さ、歪み、ねばり強さや脆さといっ
た概念について、それぞれの専門用語や単位については知らずとも、少なくとも定性的な感覚
くらいは持っているものだと思っていました。「最も基本的な物性概念の一つである『硬さの
尺度』というものが現在の大学生の頭の中には全く存在していない!」とういことを、恥ずか
しいことに、この私は認識していなかったのです。

 もちろん、モース硬度はあくまで定性的な比較に基づくものであって精密な評価には耐えませ
ん。しかし、だからこそ、直感的に物性を想像できるわけで、材料の基本的なパラメータとして
いまだによく使われています。こういうものがあるということを理解した上で、大学で材料物性
について学ぶというのならわかるのですが、どうも我々のやっていること(=カリキュラム)は、
過去の常識を前提としていて、現実から完全に乖離してしまっているのではないかという印象を
否定できません。

 私が小学生の頃、理科の先生はモースの硬度計のセットを皆に手にとらせ、「硬さの比較」と
いう最も原始的な科学の方法論(というよりも生活に必要な知恵)を実体験を通して教えてくれ
ました。こういった、極基本的な感覚や尺度というものが若い人達の頭の中に全く存在しないと
いうことが、これから先、一体どのような状況をもたらすのか…。想像するだけで、暗澹たる気
持になってきます。それとも、硬度などという概念は大学で生物や化学を勉強するうえでは何ら
役には立たないのだし、そんなものを知らなかったところで何一つ問題はないのでしょうか?
私の要求は高過ぎ、私の価値観を一方的に学生達に押しつけ困惑させているのでしょうか?基本
的な概念の醸成と洗練は、サイエンスにおいて、そして、学生達が生きる力を涵養するうえで、
最も重要なことではないのでしょうか?
 我々の世代が小学校で会得してきたことをまさか最高学府でカリキュラムの中に加えるわけに
もいかないだろうという意見が大勢でしょうが、現実問題として、必要不可欠な数多くの概念と
知識が学生達には無いわけで、何らかの形で補充する必要があるように思われます。
「受験に関係ないから」の一言で徹底的に排除されてきたことを、情けないことに最高学府たる
大学で、一つ一つ「教える」ことが、冗談抜きで社会から要求されているようにも思えます。

 「教養の重視」とかいうお題目を唱えて色々な大学でカリキュラムの刷新がなされる昨今です
が、私にはどうもそれ以前の問題であるように思えてなりません。